I Cannot Thank You Enough. 06


「終わらない… ああ、終わらない…」


ペン先をガリガリといわせて計算式を解こうが、山積みになった書類に目を通そうが、紙に埋もれたオレの机の上はちっともきれいにならない。
これは何もかも、あの巻き毛ヤローのせいだ。
この紙の山の中に、本来室長が処理すべき書類がどれだけあるのか…

…いや、虚しくなるだけだから、この事を考えるのはよそう。


「はぁ…」

「相変わらず大変そうさねー」


今日、何回目かもわからないため息をつくと、さっき呼び出しておいたラビに声をかけられた。


「同情するならこの式を解いてくれ…」

「遠慮しとくさー。 で、オレになんの用?」

「あぁ、この前話してたお前のイノセンスの事なんだが…」

「え、なにっ、直してくれんのか!?」


やっぱり。
ラビから、イノセンスにヒビが入ったから何とかしてくれー、と聞いたのはひと月も前の事だが、まだ修理してもらってないようだ。

なんたって、仕事をしてくれない誰かさんのせいで、化学班はいつも滅茶苦茶忙しいからな。
…まったくもって自慢にならないけれど。

とにかく、イノセンスを修理してもらえないとラビが困るだろうと見越して、話を持ちかけてみる。


「オレからラビのイノセンスの修理を、最優先にするように言っておくよ。」

「マジッ!?」

「あぁ。 …そのかわりと言っちゃぁなんだが、一つ頼まれてくれないか?」

「頼み? もちろんOKさ。 何すりゃいいんだ?」

「悪いんだが、少しでいいからの勉強を見てやってくれないか?
最近、まったく見てやれてないんだ…」


前までは仕事の合間にの人の生活に慣れるための訓練に付き合ってやれたが、このごろいつも以上に忙しくて、まったくの様子を見てやれていない。
そのせいか、最近始めた発声練習が以前に比べてあまり捗っていないようで、そのことが少し…かなり気にかかっていた。


の…? そんなんでいいのか?」

「頼まれてくれるのか?」

「イノセンス直してくれんなら、お安い御用さ!」


もし断られても、イノセンスの修理の優先度を上げるつもりではいたが、快く受けてもらえて助かった。
ラビが親指を上げてグッドサインをこっちへ送ってくる。

せっかくの休みのラビには悪いが、ラビは頭いいし、何気に面倒見もいいしで、勉強を教える人として一番適任なんだよなぁ…


「せっかくの休みなのに悪いな。 なら談話室にいるはずだから、よろしく頼むよ。
オレもひと段落ついたら様子見に行くから」

「りょーかい そんじゃ、またあとでな」









「思ったより時間かかったな…」


山積みだった書類を何とか一段落つけ、室長にハンコをもらいに行ったのはいいが、案の定、室長は不在だった。
教団内をかけずり回って室長を連れ戻し、無理やり片づけた書類を押し付けるまでに、ずいぶんと時間がかかってしまった。

もしかすると、書類を片づけるのにかかった時間と同じくらいかかったかもしれない。
…まったく、無駄な時間だ。

ハァ…。 とため息をついて談話室の扉をくぐる。

談話室には数人がしゃべったり、読書をしたりしてそれぞれが寛いでいる。
その中で、とラビが談話室の奥にあるソファに座っているのが見える。

二人に声をかける前に、疲れでたるんだ顔をグッと引き締める。
オレが疲れた顔をしていると、いつもが心配そうな表情をするからだ。


「お、仕事片付いたんか?」

「とりあえずは一段落つけてきた」


近くまで来たオレに気付いたラビが、持っていた本を置いてオレに声をかける。
キラキラした目でこっちを見てるの頭を撫でて、二人がつめてくれたスペースに腰を下ろす。


「どうだ、捗ったか?」

「いえす!」

「もともとオレ等の言葉を理解してるからか、声を出すコツを掴んだら、すぐに上達したさ。
とは言っても、まだまだ舌っ足らずだけどな」

「そうか… すごいな

オレの教え方がよかったのもあるけどな。と最後にそう付け足して、ラビは胸をはっている。
も褒められたことがうれしいのか、隣でニコニコと笑っている。

そんな二人を見て、ラビは人にものを教えるのに向いているのだと、改めて思った。


「そうだ、例のアレ、リーバーに聞かせてやるさ」


オレの教え方がよかったのだと、自慢げにしていたラビが思い出したように話す「例のアレ」
その言葉を聞いたとたんに、がどこか恥ずかしそうに下を向いてモジモジとしだした。


「『例のアレ』って何のことだ?」

「それは聞いてからのお楽しみってやつだ。
ほら、 頑張るさ!」


ラビから応援の言葉をもらったが、すごく気合と緊張が入り混じった目でオレを見つめてくる。
そんなの視線を受け、何を言われるんだとなんだかオレまで緊張してきた。


「…ぃーばーしゃん」

「え?」

「りぃばー、さん… りーばーさん リーバーさん!」


緊張した面持ちのの口から出た言葉は、オレの名前だった。


「あ…、オレの名前?」

「いえす! リーバーさん」

が何よりも先に、リーバーの事をちゃんと呼べるようになりたいんだって言うから、もう特訓したんさ」


今まで見たことないくらいに気合の入ったの様子から、どんなすごいことを言われるんだと身構えていたオレは、まさかの自分の名前に驚く。

そういえば、に名前を呼ばれるのはこれが初めてだ…とか、
一生懸命頑張ったを褒めてやらないと…とか、
いろいろ考えが頭に浮かぶが、どうしてだかなかなか言葉にならない。


「リーバーさん?」

「そ、そうか… オレの名前が言えるようになったのか…、すごいな


何も言わないオレに不思議そうにこっちを見るに凄いなと言うと、照れくさそうに、でもとても嬉しそうに笑っている。
もっといろいろと言葉をかけてやりたいのに、気の利いた言葉がまったく出てこなくてもどかしい。

どうやら自分は、に初めて呼ばれた自分の名前に、かなり感動しているみたいだ。


(嬉しすぎて言葉が出ないって、こういうことか…)


オレが、人生初めての嬉しさで胸いっぱいに戸惑っていることなど露知らず、
2人は楽しそうに次はどんな言葉を練習するか、なんて事を相談している。


「じゃあ次は『ラビ、かっこいー』な!」

「コラ、に変なことを教えるな」

「えー、いいじゃん」

「ダメだ」

「らび、かっくいー?」

も言わなくていいから!」

「えー?」


…さっきまでの感動も台無しだ。

それでも、今日の練習に付き合ってくれたラビと、(あと一応)と出会うきっかけとなった街への買い出しをオレに指示した室長に、
心からのありがとうを言いたくなった。