Ver.Cross




イギリスの南部に位置する小さな町に、三か月ほど前、一人の旅人がやってきた。
その旅人は、真黒な格好で煙草を吸っていて、その上片目が隠れて、少し……いや、かなり怪しい人物だ…。

彼が町に来たばかりの頃は、その不思議とも不気味とも取れる雰囲気に、町の人たちは彼をけむたがっていた。


そんな彼はお酒が好きなのか、私の家でもあるこの町に一軒しかないよく酒屋に来る。
彼が何度か私が店番をしている時に来て、私がようやく彼の雰囲気に慣れ始めたある日…。



「おい、この店にランゲットはあるか?」

「ランゲットですか? それだったら、こちらです。」



目的のものを店の棚から取り出して、彼に確認してもらおうと振り向けば、思いのほか彼との距離が近くて私は驚いた。



「っ、こ、こちらでよろしいですか?」



私がそう言って彼にワインボトルを渡したとき、彼の手袋をした指先が私の手に少しふれた。
以外に近い彼との距離と、触れた指先で私の顔にカッと血が上って、どこからかやって来た恥ずかしさから、思わずワインボトルから手を離す。




ゴトンッ!!

   コロコロコロ…




私が急に離したせいで、彼の手にちゃんと渡されることなくワインボトルが落下した。
しかもこともあろうか、そのワインボトルは彼の足の上に着地してしまった。

そのおかげで割れることはなかったけれど、怪しい彼の足の上にワインボトルを落とす。なんて事をやってのけてしまった私は『明日の朝日が拝めないかもしれない。』と泣きそうになりながら、何とか許してもらおうと必死に彼に謝る。



「…。」

「ゴ、ゴメンなさい…!! 大丈夫ですか!?
い、痛いですよね…? 骨折れてませんか!?」



そうしたら彼の手が振り上げられて、


『ぶたれる!!』


そう思ってギュッと目を瞑る。




「っ…。


…………………?」



いつまでたっても痛みを感じなくて、代わりに頭の上にぬくもりを感じた。
不思議に思って恐る恐る目を開けてみれば、彼がその大きな手で私の頭をポンポンとなでてくれていた。



「こんくれェで骨折れる程、俺は軟じゃねェ。 気にするな。」

「え…?」

「それより嬢ちゃん、名前は?」

「あ、の…、です…。」

「そうか、俺はクロス・マリアンだ。 好きに呼べ。

。 これ、会計頼む。」



突然私の名前を聞いてきたクロスさんは、何事もなかったかのように転がっていたワインボトルを拾い、私に差し出した。
このときのクロスさんの目がすごく優しくて、私はクロスさんが怪しい人なんかじゃなくって、やさしい人なんだって気付いた。




その後しばらく経って、クロスさんに害がないとわかると、彼の持つ雰囲気に惹かれたのか町の女の人がこぞってクロスさんに熱をあげ始める。



「よう、。」

「クロスさん! あ…。」

「あら、用っての所なの?」

「え、えっと…、今日は何にしますか?」



町の女の人がクロスさんに夢中になってから、クロスさんはいつも綺麗な女の人を連れて店に来る様になった。
その女の人はよくコロコロと変わるけれど、どの人も大人の雰囲気を醸し出してとっても綺麗。
クロスさんが女の人と腕を組んでいるのを見るたびに、胸がチクチクするけれど、その痛みを我慢して無理やり営業スマイルを作る。


そうした日々が続いて、町の女の人の熱意が最高潮に達するであろう、バレンタインデーがやってきた。

私みたいな子供、見向きもしてもらえないだろうけど、当たって砕ける位はいいだろうと、綺麗なお姉さんに負けないように気合いを入れる。


いつもお酒を買いに来るクロスさんの為に、ウイスキーの入ったウイスキーボンボンを作ることにした。



「よし!! がんばろっと。」

「まずはチョコを…………。」

「そしてこれをこう……………。」

「……あれ? 何かが違う……。」



お料理は得意だけど、細かい作業が必要なお菓子作りが苦手な私。
夜、両親が寝静まってからこっそりと作り始めて、チョコを完成させたのはバレンタインデー当日の早朝だった。

何とか完成させることが出来た事で一気に気がゆるんで、一睡もしていなかった私はそのままキッチンで眠りこけてしまった。






、起きなさい。
こんなところで寝ていたら風邪ひいちゃうわよ?」

「んー…。 お母さん…?」

「寝ぼけてないで、ちゃんと自分の部屋で寝なさい。」



朝、起きてきたお母さんに起こされて、自分の部屋に戻るために立ち上がろうとしたけれど、グルグルと視界が回って床に倒れてしまう。



!! …大丈夫?
まぁ! すごい熱じゃない!!」

「え…? ねつ?」

「そうよ。 寒いのにこんなところで寝ているからよ?

今日は一日ベッドで寝ていなさい。」

「そんなぁ! だって、今日は…」

「仕方がないでしょ、こんな熱で外になんか出れません!」



嫌だという私の主張もむなしく、「さあ、早く寝なさい。」とお母さんに無理やりベッドに押し込められる。


せっかく上手に作れたのに…。
当たって砕けるどころか、当たることすらできないなんて。
神様はなんて意地悪なんだろう…。

なんて事を、出来たばかりのチョコを握り締めながら考えていたら、だんだんと瞼が重くなってきた。















「んっ…。」



あれからどのくらい時間が経ったのかわからないけど、誰かに頭を撫でられている感じがして目が覚める。



「おかあ、さん…?」

「俺はお前の母ちゃんになった覚えはないぞ。」

「え?」

「なに熱なんか出してんだ、お前は。」



お母さんのものとは違う声で、私がその声がした方を見れば、なぜか私が横になっているベッドの端に腰かけてこっちを見るクロスさんがいた。



「え、あっ、えぇ!? ク、クロスさん? どうしてここに…?」

「店に来てみりゃ、お前が寝込んでるって聞いてな。」

「それでわざわざ…?」

「あぁ、せっかく来たのに、お前がいねェと意味がないからな。」

「…?」



クロスさんの言葉の意味がいまいちよく分からず首をかしげると、クロスさんは「分からねェんならいい。」と言うだけで何も教えてくれなかった。



「それより、何で風邪なんか引いてんだ?」

「それは、チョコを……、そうだ、チョコ!クロスさん…。

クロスさん、あの…これ、受け取ってもらえますか……?」



そう言って私は、握りしめたままだったチョコを差し出す。



「へぇ…。 お前の手作りか?」

「はい、昨日…。」

「どれ……  ………………………。」

「どうかし…、あ………。」



蓋をあけたクロスさんの表情が固まったので、どうかしたのかと思って箱の中を覗きこめば、ドロッと融けたチョコが…。

(なんで…!?)

どうしてこんな事になったのか思いを廻らせば、一つの答えにたどりつく。



「あっ…、それ…持ったまま寝ちゃったから、それで……。

ごめんなさい、クロスさん。
あの、やっぱりそれ返してもらっていいですか…?」

「何でだ。」

「だって、そんなの……。」



知らなかったとはいえ、ドロッと融けたチョコを渡してしまった恥ずかしさと、なんだか無性に自分がみじめに思えてきたことから、私の目に涙がたまってくるのが分かる。
でも、一度出てきた涙をどうする事も出来ずに、そのまま頬をつたって流れる。



「何で泣くんだ。
多少融けていても、チョコレートはチョコレートだろ。 味はかわらねェよ。」

「でもっ!!」

「うまいよ。」



箱の中のチョコを一つつまんで、自分の口の中に入れたクロスさんは、おいしいと言ってくれた。
けれどもその言葉を信じられない私は「嘘だぁ。」と呟く。



「嘘じゃねェ、本当だ。

そんなに言うんだったら、来年も俺に作れ。」

「え…?」

「リベンジしろ。
来年はが納得のいくチョコを渡せ。 間違っても他の男には渡すなよ?」

「へ…? そ、それってどういう……。」

「じゃあ、俺はもう行くぞ。
ちゃんと安静にして早く治せよ?

お前が店にいないんじゃつまんねェからな。」

「っ!?」



立ち上がったクロスさんが放った最後の一言に衝撃を受ける。
びっくりして目をキョロキョロさせていると、クロスさんが顔をグイッと私に近づけて、そのまま私の額に口づける。



「続きはまた今度、お前の風邪が治ったらな。」



片手をひらひらと振って部屋を出るクロスさん。


おそらく顔を赤くして、ひどく驚いた表情をしているであろう私は、蒲団の中にもぐりこんでキスされた額に手を当てる。

何が何だか分からなくなった私は、現実逃避のため寝ようとした。
けれどもさっきのクロスさんの言葉と、額に残る感触がグルグルと頭の中で回って、なかなか眠ることができない。






次の日、今度は知恵熱を出してしまった私が、クロスさんの言葉の意味を知るのはあともう少し先の話であった。
















END





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